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企業が地域のためにできること

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企業が地域のためにできること

立命館大学3年生

浅野 咲菜

株式会社デリカスイト

堀 富則

interview

学生と経営者がお互いに意見交換しながら、相互理解を深めるHR sessionの対談コンテンツ。

株式会社デリカスイト代表取締役社長 堀富則様に、お話を伺いました。

立命館大学3年生
浅野 咲菜

立命館大学経営学部。就職活動では人材業界、外資系食品メーカーを中心に活動。大学では、企業倫理について勉強中。趣味はNetflixを見ること。ミニチュアシュナウザーを自宅で飼っており犬が大好き。

株式会社デリカスイト
堀 富則

1967年岐阜県大垣市生まれ。地元高校を卒業後、大学進学を機に上京。大学卒業後、百貨店入社。 1994年株式会社デリカスイト入社。店長、商品部、店舗開発、統轄などを経て、2008年代表取締役社長就任。 大阪の老舗駅弁「水了軒」をはじめ、岐阜市「日本料理ひら井」、名古屋市「料亭蔦茂」、大垣市「御菓子槌谷」など地域の老舗の代表も務める。

目次







夢の国、百貨店

浅野
本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます。早速ですが堀様のご経歴からお伺いしてもよろしいでしょうか?



私は1967年にこの岐阜県大垣市に生まれて55歳になります。もうすぐ誕生日なんですけれども。


浅野
そうなんですね!おめでとうございます



ありがとうございます。地元の高校を卒業してから東京の大学に入り、大学を卒業して最初に百貨店に入社しました。


浅野
そうだったんですね。なぜ百貨店を選ばれたのでしょうか。



当時の百貨店は1年に何回かしか行けないような、とても華やかで、とても楽しい夢の国だったんです。そんな場所に私も携わりたいという思いがあって百貨店を選びました。3年ほど百貨店に勤めて、いろんな経緯があって家業である弊社に入社しました。


浅野
百貨店を辞めて家業を継ぐことは決められていたんですか?



いえ、実は弊社には全く入る気はなかったんですよ。いろんな経緯で入ることになって、店長から始まり、店舗開発、商品開発も含めて経験して2008年に代表取締役に就任しました。


浅野
そうだったんですね。百貨店でのご経験が今の堀様に繋がっている部分はあるんでしょうか?



自分にとって夢の国だったから百貨店に入ったと話しましたが、結局私がやりたかったのは小売なんですよね。お客様との接点をどうやって掴んで、お客様に対してどういうサービスができて、というのがとてもやりたいことでした。安くないお金を頂戴しなければいけないという部分の中での、お客様のニーズ、ウォンツを汲み取る力、あるいはもう一度来てもらうにはどうすればよいかという発想力は百貨店での経験が生きています。


時代の流れに対応していく

浅野
2008年の社長就任時は相当なプレッシャーや責任感がおありになられたと思います。



やる以上はその時点での目標はあるわけだし、こんなことやりたいな、あんなこともやりたいな、という思いや夢があったので事業をやることそのものは楽しみでした。でも、周りを取り巻く環境の変化がものすごくたくさんあって、当時思い描いてた事業が全てできたわけではありませんでした。


浅野
どういった変化があったんでしょうか。



20年ほど前に行われた法改正で大きな商業施設が作りやすくなったんですよ。なのでいわゆる地域の中小スーパーマーケットが淘汰されて、大型商業施設に置き換わりました。弊社も私が入社した頃と今では、岐阜のお店が少なくなり、反対に名古屋のほうに増えたりと、お店の場所が全然違うんですよ。


浅野
そうだったんですね。そういった変化の中でどのように対応されてきたのでしょうか。



スーパーもいいけど、「駅」という場所でお店を出せないかなと思い、30年ほど前からJR東海さんと協力して事業を進めてきました。


浅野
「駅」ですか。



でもコロナの影響で駅の利用率が低下してきていることを受け、次にお弁当事業に力を入れました。百貨店にも出店している料亭のお惣菜、お弁当を私どもが全部OEMで作っていたんですね。それを約10年間やっていたのでお弁当を作る自信はあったんです。


浅野
長い間やられていたんですね。



掛け紙がなく売る自信がなかったので、また別の料亭をM&Aしてそこで新たにお弁当事業を始めました。その結果今の名古屋地区で、MRという医薬品の営業さんにもっていくお弁当のマーケットで1位になりました。5年でそこまで育てることができまして…。


浅野
1位ですか、すごいですね!



一般のお客様が買うわけじゃないので、売り上げとしては小規模ですが、大きな実績として、こういったマーケットを一つ一つとっていって強みに変えていくことが必要ですよね。


浅野
時代の流れに対応しながらいろいろな事業をされているんですね。



マーケットが変わりながらなので当然社長になった当時に考えていたこと、あるいはコロナの直前に考えてたことというのはすべてごみ箱行き。もう一度作り直してこれからの新しい時代を一生懸命、社員の皆さんといろいろやり取りしながら方向を作って、そこに向かっているというところですね。


国産米にこだわる

浅野
大垣市の水や食材を使われているお惣菜なども多くあると思いますが、名古屋などに出店されるときに、岐阜県の知名度をあげてやるんだ、ブランド力をあげてやるんだというお気持ちはあったんでしょうか?



それはもちろんあります。ただ岐阜県に絞るとなかなか狭いし、季節も追えないので広い意味で東海3県を中心にとはなるんですが、その中で使えるものはどんどん使いたいですね。


浅野
なるほど。特にこだわられている部分はありますか?



お米ですね。1993年に米不足というものがあって、日本は歴史上初めてミニマムアクセスといって、海外からお米を輸入していたんですよ。弊社も外国産米にしようかという話もありました。


浅野
そうだったんですね。



ただ当時お客様から「お米がおいしいね」と仰っていただいていたので、びっくりするような値段のお米になっていたときでも国産のお米にこだわっていました。


浅野
大変な状況下でも褒めていただける部分は残そうとされてきたんですね。



そうです。この米不足がきっかけでここまでは値段をあげられるんだということが分かって、お米にこだわるようになりました。「龍の瞳」という、岐阜県の下呂で偶然できたお米や、現在は、天皇賞受賞の「ハツシモ」というお米を使っています。


浅野
岐阜県の美味しいお米を広めようとされているんですね。



お米以外にもおでんに合うおでん大根や、普通のものより太い切り干し大根など、東海3県にあるとてもいいものをどんどん使って、お客様に発信していくことを一生懸命やってます。


「いのちの食べ方」

浅野
お米といえば社員の方々が田植えを行っているのを拝見しました。



10月1日には内定式を田んぼで行いましたよ。


浅野
すごいですね!



SDGsという言葉がないころから、食品を廃棄物にしてしまうのはよくないとは思っていました。ですが、減らそう減らそうとはしているけれど0にはならない。それがダメなことというのは身に沁みなきゃいけないと思っています。


浅野
食料の大切さを学ぶための田植えなのですね。



本当は屠殺場、食肉処理場というのも見せなければいけないと思いますが難しいので、入社して最初に「いのちの食べ方」という映画を途中だけ見せています。とてもグロテスクなんだけど知っていかなきゃいけないところですし、実際に見に行けない以上そういうのをしっかりと見て、これが私たちの仕事なんだ、というのを肝に銘じながら行っています。


浅野
私も消費者の立場としてその映画を拝見したいと思います。


とにかく「地域の宝」を発信

浅野
就職活動を進める中で地域活動、地域貢献したいな、そういう企業に入りたいな、とぼんやりと思っている学生は多いと思います。そういった学生に対して伝えたいことはお持ちでしょうか?



地域貢献は誰にでもできます。その中でも地域の宝を見つける、これが大事だと思います。


浅野
先ほど仰っていたお米や大根も地域の宝ですね。



岐阜県というだんだん過疎にならざるを得ない地域である以上、国内の外貨を稼ぐということをしていかなければならないと思っています。地域の宝を発信して、他県の方に買っていただいて、地域の宝を作っている人のところにお金が戻っていく。そこを繋ぐのが私たちです。


浅野
なるほど。



地域に戻ったお金で次の新しい宝を作ってもらって、私たちがまたそれを発信していく。広い意味での地域内投資、地域のサイクルを作っていくというのが地域貢献に繋がっていると思っています。


浅野
そのための発信ですね。



今の若い世代の人たちっていうのは総じて発信力、コミュ力というのが高いと思います。それがただ自己満足になってしまうのか、それともターゲットやマーケットなどの、こういう人たちにこういうことを伝えたいんだ、というのを決めて、自己満足じゃない形で出すことができるかの違いだと思います。誰でも力は持っていらっしゃるのであとはいうか言わないかだけです。


浅野
若い世代が持つ発信力というポテンシャルをいい方向に使ってほしいですね。



私は「個性を出す」=「人と違うこと」ではないと思うんです。同じでもいい、ただ同じことでも自分の言葉で発信していくのが大事だと思っています。「右に同じです」ではなく、拙くてもいいので自分の言葉で発信すれば、人は必ず見てます。


浅野
こういったお言葉をいただけて学生もほっとすると思います。


地元のために雇用を創出する

浅野
最後の質問になりますが、岐阜県を今後どのようにしていきたいですか。



今岐阜県にある資源というと農業や林業、下呂のような観光資源、そして物流拠点です。それらが活性化して生き残っていくためには働く場所があるかどうかというところに戻っていくと思っています。


浅野
雇用の創出ですか。



私たちがやっている食も、物流や工業も、人がいますので、働く場所、働くチャンス、あるいはさっきお話しした地域の宝というものを一つ一つ増やしていく、ということでしか未来を創る種というのはできてこないと思います。


浅野
地域の宝を見つけて発信し、働く機会を作るという方法で地域に還元していくということですね。



そうですね。どのような岐阜県にしたいかと聞かれると少し壮大ですが、私どもがいる大垣市は地下水が豊富なので何の加工をやるにもとても便利な場所なんです。そういったポテンシャルはあるので、それを認めてもらってお金に換えていけるような事業をもっと知恵を絞って行っていきたいですね。


浅野
実は祖父の地元が岐阜県なのでこれから岐阜県が活性化していってほしいなと私も感じております。本日はありがとうございました。



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