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危機の中での現場との向き合い方

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危機の中での現場との向き合い方

長崎大学3年生

原田 歩果

株式会社ティエフケー

佐藤 弘史

interview

学生と経営者がお互いに意見交換をしながら、相互理解を深めるHRsessionの対談コンテンツ。

今回は、株式会社ティエフケー の代表取締役社長 佐藤弘史様に、お話を伺いました。

長崎大学3年生
原田 歩果

長崎大学経済学部。2024年卒業見込み。インターンシップ生。就活では人材業界や広告業界を中心に見ている。4つのアルバイトを両立させている。音楽が好きで、この冬はたくさんライブに行く予定。

株式会社ティエフケー
佐藤 弘史

北海道苫小牧市で生まれ、東京都三鷹市で育つ。猫が好き。 Philipsというオランダ資本の会社に21年間勤務、国際調達・経理部・照明機器・医療機器、日本での各事業に従事し、この間に財務会計・経営にたずさわる。そのかたわらアジアでの会計マスタートレイナーとして、東は台湾西はパキスタンまで巡回。その後Veoliaというフランスの水処理会社に於いて日本の財務責任者として6年間勤務。日本に参入して日が浅く、M&Aでビジネスを拡大する過程であり、地方水会社の買収・合併からその後のガバナンス管理を含めて活動、子会社とのシェアード・サービス・センター、連結納税、キャッシュプーリング、SAP導入展開を行い、グループとしての経営効率を目指した。その後、ティエフケーに来て、2014年からの4年間財務責任者としての役割を担った後、代表取締役社長へ就任する。

目次

 



原田
本日はよろしくお願いします。早速ですが、社長のご経歴について伺わせてください。


佐藤
外資系の商社に1987年に入社しました。国際調達部という部署に配属されました。シェーバー、家電、ランプ、ヘルスケアなど日本国内の優秀な電子部品を買い付けて、海外のグループ会社に輸出する業務から始めました。


原田
そうだったのですね。


佐藤
その直後に、「経理やってみなよ」と言われ、経理・財務、特に、輸出に関わる回収業務をしました。
例えば、行ったこともないような国から「もうお金は払えません」と言われてどうしようみたいな経験もしましたね。(笑)
その企業では21年間働いて、いろんな事業に携われたので、飽きはしなかったですが、もっと資本取引をやりたいということで転職しました。
もう1社経験後、アジアが経済をけん引しているということもあり、アジアに軸足を置く会社で今度は働いてみようかなと。
自分が今まで培った知識やノウハウを生かせるようなところで働きたいと考え、8年前にシンガポールの会社、SATS社に来ました。


原田
ありがとうございます。どのような動機で外資系企業を歩んでこられたのでしょうか?


佐藤
自分が頑張った分だけその結果というのをきちんと評価してくれる会社で働きたいという考えで
外資系企業を選んできました。
日系の企業でも同じような考え方をする会社であれば気にしなかったと思います。


ヒエラルキーの頂点に君臨するリーダーではなく…

原田
社長になられるまでの経緯を教えてください。


佐藤
もともと財務責任者としてティエフケー に在籍していましたが、4年前に「社長をやってみれば」と声をかけていただきました。
私も、いろんな人のリーダーシップを見つつ、自分だったらこうやるのにという気持ちもあったので、
自分が培ってきたものを形にしてみたい なということで、現在代表という立場にいます。


原田
目指すリーダー像について伺いたいのですが、採用ホームページでは、サーバントリーダーという言葉を使っていらっしゃいましたよね?


佐藤
会社が求めるリーダーシップ像は社員全員が実現できるようにしていただきたいものです。SATSグループの場合は、そのリーダーシップ像を4つに区切っていて、その1つがサーバントリーダーシップです。
会社が求めるものでもありますし、私がロールモデルとなって皆さんにお示ししないといけないと思っています。


原田
自らがお手本になって、社員に示していらっしゃるのですね。


佐藤
リーダーシップってカリスマ性があって、ヒエラルキーの頂点に君臨する人というイメージがあると思います。しかし、そういうスタイルは、社員の頑張りで成り立っている会社ではうまくいきません。リーダーがともに頑張る、働きやすい環境を作る。それが、SATSが考えるリーダー像です。
私も現場も見るようにして、顔見知りの方も多くなってきました。社員と日常的に声を交わし、一緒に頑張りましょうとメッセージを伝えることは大事だと考えて努力しています。


原田
従業員数も多いですが、そんな中でも普段から社員の方とコミュニケーションを取っていらっしゃるのですか?


佐藤
従業員数はコロナ前で1,700名いたのですが、コロナになって今950名くらいですね。
キーになるような方は顔見知りで声を掛け合える関係だと思っています。


原田
採用サイトのメッセージの二つ目が、一隅を照らすこれ即ち国宝なりということで、そこからも人に重きを置く企業様なのだなと感じました。


佐藤
やはり、現場によって成り立っている会社です。調理する人、盛り付ける人、搭載作業をするひとりひとり、これを自動化するのが非常に難しい。それぞれが常に安全に気を付けて、コミュニケーションをとって商品の提供をするのが本質的なところです。


原田
そういった視点で採用も進めると思いますが、どんな人材に来てほしいと考えますか?


佐藤
先ほどのリーダーシップ像ももちろん、考え、学ぶことができる人、自分の殻を破って挑戦することをいとわない人にぜひ来てもらいたいです。


30,000食から1,000食へ 未曽有の危機との闘い

原田
コロナ禍で、どう経営に向き合ってこられたのでしょうか。


佐藤
コロナ禍で、どう経営に向き合ってこられたのでしょうか。資金調達の案を練ったり、支払いの工面をしたりですとか、そういう苦労はしてきました。


原田
そうだったのですね。
コロナによって従業員が減ってしまったというお話がありましたが、仲間を失ったことに対して、
どういうお気持ちだったのでしょうか。


佐藤
辛い以外の何物でもないです。コロナ前は1日に生産するのが30,000食あったのですが、1日1,000食とかになった。我々の使命は会社を存続させていくことなので、考えられるだけの費用削減をしました。
その一環として、希望退職制度の募集を行いました。
これまで30年以上働いてきたような方たちにも応募してもらいました。
個人的には、ひとりひとりに記念品とお手紙を渡して、お話をしてお別れをしてきました。


原田
学生の身には想像できないほどのご苦労があったのですね。


現場の力に支えられている

原田
トップが人を大切にするという姿勢が全体に伝わって、今のような企業文化があるのですね。
そういった文化が根付くように、御社が大切になさっていたことを一言で表すとどういったことになるのでしょうか。


佐藤
『現場力=会社の力』ですね。
だからこそ、成田空港では13年以上、110万回以上に渡って機体に傷をつけるような重大事故はゼロなんです。


原田
すごいですね。
同じことを繰り返しは、通常ミスが出ることを前提とすることで成り立っているじゃないですか。
それを人が関わって無事故というのはとてつもないことですよね。


佐藤
会社がずっとプライドを持って仕事してきたということだなと理解しています。


渡航制限緩和で回復の兆しが

原田
10月に入って海外への渡航の規制がどんどん緩和されており、回復の兆しが見え始めていると感じているのですが、今後どのような事業展開を考えていらっしゃるのでしょうか。


佐藤
飛行機の復便が盛んになるので、約40%減らしてしまった人員をどう増やしながら、対応していくかですね。
入社しても、実際に現場で働けるようになるまで2か月くらいかかるので、時間的な見積もりをしながら、徐々にコロナ前の状況に向けて計画を精査するというのが一番の関心です。

 

原田
ということは、今一番の課題は人員不足ということになってきますか?


佐藤
今は不足していません。今羽田だと週数十便ぐらい飛んでいて、11月になると倍以上に取り扱いが増えるんです。それに伴って何人をどの部門に充当すべきなのかという検証を、次の段階の復便に向けてする必要があります。


マルチタスクで生産性を高める

原田
これから事業展開等も進めていかれると思いますが、スムーズに進めるための重要な指標は、どういった事柄になってくるのでしょうか?


佐藤
キーパフォーマンスインディケーターというものがあって、一人当たり何便取り扱いましたか、何食製造しましたかと。そういう指標を参照にして、実際の食数、便数、将来に向けての推測を入れた見積もりを考えます。 


原田
システム的なのですね。


佐藤
そうですね。
生産性が落ちてしまうような予定を立ててしまうと、取り扱いの効率が下がるので、シビアに、精度を高くするようにしています。


原田
生産性を維持する、高めていくために人材に対して工夫をしていることはありますか?


佐藤
多能工化というのは進めました。
エアラインによって業務が結構変わるので、複数取り扱えるように教育・訓練し、できることの母数を増やしていこうとしています。


原田
マルチタスク型ということですね。


佐藤
そうですね、会社の幅を広げることにもつながると思っています。


当時の経験が今に活きる

原田
佐藤社長のこれまでのキャリアで、特にやりがいがあった仕事を教えてください。


佐藤
自分の中では2つ、大きく原体験があります。
ひとつは、MBOという、経営陣による買収を成功させることができたこと、もうひとつは財務経理のトレーナーをしたことですね。


原田
詳しくお伺いしたいです。


佐藤
MBOでは、社員さんとも仲良くしていた工場を手放すことになってしまったんです。
当時の上司と金融機関を何件も周り、事業計画を説明しました。
クロージングまで終わったときには、厄介払いしてしまったのではないか、という罪悪感もありましたね。
しかし、私たちが考え抜いた事業計画通りに仕事が進み、数年後には工場が海外進出するまで成長したので、やってよかったと心から思いました。
財務経理の仕事って決して数字を扱うだけの仕事ではなくて、人とビジネスをしっかり理解してサポートすれば役に立つと腹落ちした経験は、自分の人生の中で大きかったです。


原田
財務経理は数字を扱うだけではないというのが印象的ですね。


佐藤
もうひとつは、30歳前後の時の話です。当時勤めていた会社で、財務経理のトレーナーを養成して、グループ会社を担当していこうという話がありました。
人前で話すことはすごく苦手でしたが、講義内容に関してはだれにも負けない自信があったので、受ける決心をしたんです。運営においては苦労しました。サポートを受けながらなんとか終える。ということがありましたが、それでも回数を重ねて慣れてきて、東は台湾、西はパキスタンまでずっと網羅し、それぞれの国の方にトレーナーとしての研修ができました。話すためのガジェットを学べた点は、今でも役に立っています。


原田
挫折経験があったとき、どう乗り越えていけばよいのでしょうか。


佐藤
自分の場合は、人前で話すことが苦手ということで苦労したんです。
でも、話すことは慣れしかないと思って、無理やり自分に課しました。
要は、『当たって砕けろ』の精神。やるだけやったらあとは天命に任せるみたいな、そんな気持ちでやっています。


原田
今のお言葉を胸に、私も苦手なことにも挑戦したいと思います。


ビジネスを支える参謀になりたい


原田
一度財務に関わってから、そのあとずっと財務系のお仕事をなさっていますが、ひとつのことを突き詰めていかれた理由はありますか?


佐藤
ビジネスをサポートするような参謀的な役割を担いたいという気持ちがありました。
数値面、人事面からビジネスをどうサポートするかを考える中で、専門的なことも学ぶ必要がありましたが、そうした知識はビジネスを成功させるために必要なので学べてよかったです。


原田
ただ数字を相手にすることが仕事じゃないと思っていらっしゃる源泉が、今専門分野として培ってきた経理財務の世界に入るときの想いとつながっていらっしゃるのですね。


技術的特異点に向けて

原田
これから就活をする学生に向けて、アドバイスがあったら教えていただきたいです。


佐藤
世の中では2045年問題という技術的特異点を迎えるという話がありますよね。
聞いたことありますか?


原田
はい。


佐藤
今就職活動をなさっている皆さんはそこにかかってきますよね。
世の中の仕事をほとんどAIがする、人間が関わらなくても済む社会になったときに、自分はどう職業人生を歩んでいきたいのか。
今の時点で、5年後、10年後どのような自分になっていたいかと考えることもあると思います。ただ、10年後の自分はわからなくても、将来働く自分を想像したときに、どういう仕事に携わっていたいのかということは考えておいていいと思うんです。


原田
ありがとうございます。
自分はどうかと考えたとき、短期的な視点ばかり見ているなと気づきました。
大局的に物事を見ることや、自分が世の中に対してどういう貢献がしたいかを考えながら就職活動を進めていきたいなと思います。
本日はお忙しい中ありがとうございました。


佐藤
ありがとうございました。


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